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ザイサン丘から眺めたウランバートルの中心街

ウランバートルの人口は公式発表では75万程度だが、実際は100万人いると言われている。

ウランバートル郊外

 モンゴル人は元来土地に対する所有欲がない民族といわれているが、1990年の資本主義への転換以来、少しずつ土地の私有化が始まっている。平均人口密度2人弱のモンゴルでは、写真に写っているように柵での囲い方もおおらか。
オペラハウス

 第2次大戦後、当時のソ連によって抑留された日本人捕虜の中にはモンゴルに送られた人たちがいた。このオペラハウスは彼等によって建設された。そのことを思うと司馬遼太郎はこの建物だけは「どうもまともに見る気になれない」と書いている。
 私はここでオペラ「チンギス・ハーン」を観た。社会主義時代にはロシアを侵略したチンギス・ハーンの名前を口にすることさえタブーだったと言う。
スフバートル広場

 街の中心にある巨大な広場。中央には1921年のモンゴル革命の英雄スフバートルの騎馬像がある。後ろに見える建物は政府庁舎。
 この広場には土も木も花もなく、ちょっと殺風景。
私のアパートの前に突如出現したゲル

 ある日突然白いフェルトでできたゲルがうちの前に建っていた。木の柵による囲いも始まった。この空き地にビルが建つのだろうか。草原のゲルならぬ都会のゲルは工事現場にあるプレハブのような役目をしている。
 中央の煙突から煙が出ているので、ああここで人が生活しているんだと分かる。
山で輪になってウォッカ

 これは日本語学科長の療養所へお見舞いにいった時の写真。療養所でワインを飲んだ後、みんなで近くの山へ行った。小雪舞う中、何するんだろうと思っていたら、何とウォッカがコートの中から出てきた。こうやって山でウォッカの回し飲みをするのがロシア風なのだそうだ。

人文大学の1年生

2005年4月に行われた「クラス対抗日本語クイズ大会」での集合写真。女性が多い。
人文大学夜間部の2年生

 人文大学には夜間コースがある。昼間は他の大学で勉強していたり、働いていたりする。年齢も様々で、結婚して子供がいる学生もいる。専門はそれぞれ違っているが、みな日本語で仕事をしたいとか日本に留学したいと考えている。
 5月はじめの土曜日、学生達がボクドハーン宮殿博物館に誘ってくれた。博物館見学の後は河原でピクニック。ちょっと寒かったが楽しいひとときを過ごした。

自動車の渋滞とゲル集落

 日用品をうっているザハ(マーケットのこと)近くの風景。手前のミニバンは、マイクロバスと呼ばれる乗合タクシー。客がいっぱいになったら出発する。客集めの大声がそこら中に響く。
 赤土の上にたっているのが、ゲル集落。ゲルに混ざって近代的な家も建っている。
市場で売られている野菜

 「モンゴル人は野菜をあまり食べない」と言うのは本当だ。普通の食料品店ではしなびた野菜が僅かばかり置いてあるだけである。でも、メルクーリ市場には写真のように野菜が豊富に揃っている。日本人御用達の市場である。私も週末にはここに買出しに行く。
 野菜は中国から来ているらしく、ほとんどが中国名になっている。もっともモンゴル語ではどんな野菜も「緑」としか言わないらしい。
     初めてのドライブ
 ウランバートルの街中にも緑色の草が芽吹いてきた5月中旬、初めて郊外に出かけた。ウランバートルから一番近い保養地のテルリジという所まで車で2時間弱。
白いゲル(中国で言うパオ)の回りでやぎや羊が草を食む風景に出会い、ああ、モンゴルに着たんだと実感。
      ツーリストキャンプ
 テルリジのツーリストキャンプにあるゲル。入り口は必ず南向きに作られている。中にはベッドが3つと中央に薪ストーブ。ちょっと肌寒かったので、薪をたいてみたらとっても暖かかった。
       馬に乗れた!
 何と馬に乗っているのは私。この写真を撮るためだけに、みんなに抱えてもらってやっと馬にまたがることができた。写真では怖がってぎゃーぎゃー騒いでいる声が聞こえなくてよかった。

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