バヤン・ウルギー県へ (2005.8.3〜6) バヤン・ウルギー県はモンゴルの西の端に位置する。面積は九州ぐらいもあるが人口はわずか10万人。北はロシア、南はアルタイ山脈で中国と国境を接する。住民の多くはカザフ族で、公用語はモンゴル語とカザフ語である。カザフ族はイスラム教徒であり、町にはモスクが建っていた。ここはモンゴル国ではあっても別の国のようだ。国境こそ接していないもののカザフスタン(カザフ人の国という意味)との行き来が多く、カザフスタンの国籍を取るものも少なくないと聞いた。(この手続きは驚くほど簡単だという。) |
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鷹匠 バヤン・ウルギー行きの目的のひとつは、鷹匠に会うこと。カザフの人々もゲルで移動生活をしているので、会えるかどうかは運次第というところであった。 ウルギー市からロシア製ワゴン車で荒野を走りつづけること3時間(人にも生き物にも会わなかった)、湿地帯が現れ休憩をとる。アカツクシガモ、小白鳥、つるを発見。水のある世界の豊かさに感動。そこで出会った牧民に鷹匠の情報をもらう。 鷹匠は正装をして私たちに自慢のイヌワシを見せてくれた。写真のイヌワシはまだ1歳になっていないそうだが、十分に貫禄があった。9月末には各地の鷹匠が集まり狩猟の技を競う大会が開かれるという。この大会の様子をNHK特集でご覧になった方もいらっしゃるのではないだろうか。 |
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乳製品のお菓子 鷹匠のうちで出された乳製品のお菓子やバターや揚げパン。カザフ族は馬をよく好んで食べるらしい。しかし、1頭の馬の肉は量が多いので、暑くて肉が保存できない夏の間は食べない。夏の間は乳製品を食べる。 それで、夏は白い食事(乳製品)、冬は赤い食事(肉)と言われる。 |
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チーズを乾燥 これは、チーズを乾燥させてアーロールやビャスラグというお菓子を作っているところ。ゲルの屋根の上に干しているところもあるが、この鷹匠のうちでは専用の台を使っていた。歯で噛めないほど硬いものもある。子どもたちはそれを飴のようにぺろぺろ嘗めていた。 |
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ゾーフ ゲルの真中にあるゾーフと呼ばれるかまど。冬には暖房器具にもなる。 燃料には牛糞がよく使われる。牛糞はにおいも煙もない理想のエコ燃料だ。かまどの上に載っている大なべの中にはスータェ・ツァェという独特の塩入ミルク茶が入っている。どこのうちに行ってもまずはこのお茶を大きな茶碗に注いで出してくれる。 |
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カザフの刺繍がぎっしり施されたタペストリー。カザフ族のゲルに行くと必ずベッドの後ろに掛けてある。イスラム教だからだろう、図案には人や生き物が描かれていない。 私たちがお茶をご馳走になっていると、どこからとも無くタペストリーが集まってきた。全部アンティーク。布好きの私が買わずに帰れるわけが無く、この写真のタペストリーは今私の部屋にかかっている。 |
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カザフの家族 モンゴルの代表朝青龍(ハルハ族)とは顔が違う。目の色が青みががかっていたり髪の毛が栗色だったり。 |
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バヤンノール村 「バヤン」は豊かな、「ノール」は湖という意味で、その名の通り鏡のようにきれいな湖がある。湖の周りは夏営地となっていて、今まで見たことも無いほど多くのゲルが集まっていた。 私たち6人はここで泊まろうということになり、運転手さんに交渉してもらう。最初に尋ねたおじさんがあっさり「じゃあ、うちに泊まれ」と言ってくれた。その人のよさそうなおじさんの家の前をやぎの群れが横切っていく。ゆっくりと日が暮れていく。 |
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今晩の夕食はこの羊 泊めてもらうことになったうちのおじさんが、ニコニコしながら羊を抱いて戻ってきた。もしや、これを料理しようというのでは?田舎ではお客さんをもてなすため羊1頭をその場で料理して食べさせると聞いていた。どんなものか食べてみたいという欲求はあったが、伝統的な煮込料理を作ろうとすれば4時間ぐらいかかると聞いて丁重に辞退した。このとき既に夜の8時を回っていたのだ。持って行ったキャベツでうどんのようなものを作ってくれないかと頼んだ。しかし、なんと私たちがお茶をご馳走になっている間に既に羊は解体されていた。かくして私たちは、非常においしい羊肉焼きうどんをご馳走になった。 |
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水汲み 夕暮れ時、子ども達が湧き水を汲んでいた。水汲みは子ども達の仕事だ。おしゃべりしながら楽しそう。 ここは鉱泉だと教えてくれた。透明なその水は硫黄のにおいがした。 |
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ちょっと水を1杯 馬から下りたおじさんは村人からもらった水を1杯おいしそうに飲み干した。草を山ほど摘んだラクダの方が疲れているんじゃないのかしら。でもラクダはおとなしくおじさんが飲み終わるのを待って、またゆるゆる歩いて行った。 |
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南ゴビへ 2005.8.12〜14 | |
ウランバートルからプロペラ機で1時間20分、南ゴビ県の中央にあるダランザドガド空港に着陸。空港と言っても管制塔も他の飛行機も見当たらない。滑走路は舗装されていない。プロペラ機は土煙をたてながら小さな建物の前で止まった。 この旅行にはガイドがウランバートルから一緒に来るはずだったが、搭乗間際になって身分証明書が無いため飛行機に乗れないことが分かった。今までは身分証明書なしで乗れたのだそうだが、急に規則が変わったのか?この日に限って飛行機は定刻に飛び立ち、かわいそうなガイドはチケットを握り締めたまま私たちの飛行機を見送る羽目になってしまった。 |
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「ゴビ」とは、モンゴル語で「まばらな短い草が生えている土地」という意味だそうだ。ゴビはモンゴルの国土の30%を占める。左の写真のような砂漠をゴビだと思っている人が多いかもしれないが、これはゴビではない。私たち日本人が思い浮かべるさらさらした細かな砂の砂漠はモンゴル語ではエルスと言う。エスルはゴビの中のほんの数パーセントしかない。 私たちは南ゴビにエルスを見に行った。有名なのはモルツォグ砂丘という名前がついていて空港から50kmぐらい離れた所にある。写真では広いように見えるが学校の運動場に砂をあつめてきたぐらいの大きさだった。ガイドブックには風によって移動していると書かれていた。 |
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砂丘にはラクダがよく似合う。 私たちが砂丘についたらどこからとも無く、ラクダを連れた兄弟がやってきた。観光客をラクダに乗せてこの砂丘を一回りする。1回3,000トゥグルク(約300円)。 |
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バヤンザク この平原で世界最初に恐竜の卵が発見されったことで有名。モンゴルは知る人ぞ知る恐竜の化石発掘のメッカだそうだ。日本から発掘ツアーも出ているらしい。私たちが会った日本人もキャンプ場からこっそりナイフとフォークを持ち出し、ささやかな発掘を行っていた。 |
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夕日に乾杯 トゥブシン・ツーリストキャンプ場は360度見渡す限りゴビの真中にある。私たちが着いた日はモンゴリアンブルーが空いっぱいに広がり、素晴らしい解放感につつまれた。 何一つ遮るものの無い地平線へ沈む夕日を眺めながら、ワインで乾杯。 |
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太陽が幸せになる 午後9時15分、大きな太陽が地平線に沈んだ。モンゴル語では日が沈むことを「太陽が幸せになる」と言うのだそうだ。詩的だなあ。空が暗くなると今度は満天の星。外に寝っ転がって流れ星に歓声をあげた。 |
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ヨリーン・アム ツーリストキャンプ場から車で1時間弱でヨリーン・アム国立公園に着く。ここも南ゴビ県だが、ゴビではなく緑が豊かな谷だ。標高は2,200m。ナキウサギ(多分)や野ねずみや珍しい鳥を見ながら往復3時間のハイキングをした。ラクダや馬に乗っていく人たちもいた。 |
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ハラホリン、蒼天の湯へ 2005.7.13〜17 |
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ハラホリン 日本ではカラコルムとして知られているかつてのモンゴル帝国の首都であり、世界の民族が集まる国際都市であった。しかし、5代フビライが北京に遷都してからは急激に衰退し、今では跡形も無い。 写真はエルデニ・ソーという大仏教寺院の外壁である。これは16世紀後半にハラホリンの町の建築資材を再利用して建立された。ハリホリンの町は消滅したが、この寺院は今でも大部分が残っている。 ウランバートルからハリホリンまでは約350km。舗装されているとはいえ、穴ぼこだらけの道なので6時間はかかる。 |
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道案内 ハラホリンから蒼天の湯(ツェンケル・ジグール)に行く途中、道に迷った。と言ってもどこも「道なき道」だったのだけど・・・。幸運にも写真の牧民さんに出会って蒼天の湯の方角を聞くことができた。私たちのバンは彼が乗った馬の後について丘を登り、小川を渡った。 蒼天の湯とは、日本人が経営しているツーリストキャンプ場の名まえである。源泉86度の温泉が豊富に湧いている。そこの露天風呂につかって満天の星を眺めるのを私はモンゴルに来る前から楽しみにしていたのた。 |
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アルハンガイ県 蒼天の湯のあるアルハンガイ県は森林や山が多く、水が豊かで肥沃な土地である。キャンプ場の近くを散歩していたら、パラボラアンテナのあるゲルを見つけた。太陽電池で発電して1日数時間はテレビを見ているのだろうか。 |
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イチゴ摘み 蒼天の湯の近くに住んでいるという女の子たちが、イチゴ摘みをしていた。野イチゴの小さな小さな実を一生懸命集めてはビンに入れる。ジャムを作るのだとい言う。私たちもちょっとだけ手伝った。食べる方が多かったが・・・。 真っ赤なほっぺたがなんともかわいらしかった。 |
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エーデルワイス 日本では高山でしか見られないが、モンゴルでは平地で見られる。このエーデルワイスもキャンプ場に近くに咲いていた。 モンゴル語では「白い山」という名前がついている。 |
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